明日は明日の風が吹く#2
前回の記事はこちら:明日は明日の風が吹く #1
Tomorrow Blows Another Wind
ところが、ところがです。2012年にフェリー乗り場の横に世界一の観覧車とアウトレット モール、それにデザイナーズ ホテルを作る大、大計画が持ち上がりました。ですが歓迎する人、静かな環境が脅かされると反対する人と住民の意見は様々でした。私たちはその時点ではまだ日本への移住の時期を具体的には決めていなかったので、にぎやかになっていいなぐらいに思っていました。勿論その時フェリー乗り場の近くの土地や家の値段が跳ね上がった事は言うまでもありません。
そしてまたまたところがです。ところがこの世界一の観覧車計画がすったもんだの末おじゃんになります。資金不足プラス組合と会社の対立とかで、建設に関わっていた人たちはあっという間に、今度は世界一の観覧車を新しくドバイに建てるためにそちらに行ってしまいました。私たちが日本に移り住んだ後アウトレットはできましたが、デザイナーズ ホテルはできませんでした。しばらく上がり続けていた不動産の価値も元に戻ってしまいました。
観覧車計画が儚い夢となった頃に、私たちは日本に来ました。
訴訟の国と言われるアメリカでの家の売買では、ほとんどの場合売り手側と買い手側それぞれが弁護士を雇います。ニューヨークは犬よりも弁護士の方が多いと冗談で言われるぐらいで、私が日本語を教えていた20人ほどのクラスにも必ず2、3人はいました。ですから日本に来る前に不動産屋と契約し、知り合いの弁護士にも全ての手続きを頼んでおきました。準備万端、後は売れたという連絡を待つばかりとなったのですが、コロナの影響もあり待てど暮らせど連絡がない。誰も住んでいない家のローンを泣く泣く2年も払い続ける事になりました。すぐに売れるだろうとお気楽に考えていた私たちが甘かった。そして買い手が見つかったのはいいけれど、今度はアメリカと日本で弁護士を通しての書類のやり取りが何度も必要となりました。本来なら弁護士の前で書類にサインをするべきなのですが、それができないのでサインした書類を公証役場に持っていかなければなりません。その上、英文の書類なので神奈川か東京の公証役場に行かねばならず、その後もコロナのため郵送した物が、途中で無くなってしまったのではなかろうかと思う程いつまでたっても届かずと、国をはさんでの家の売却は悪夢(ナイト メア)のようでした。結局家は買った値段よりは高く売れましたが、コロナの影響もあり私たちが想定していた値段を大きく下回る事になりました。
移住について全て白紙の状態にあった私たちが、どうやってこの広い日本の中でここ富士宮を見つけたのか、何が移住の決め手になったのか、その時はまだ何も分かっていません。 明日は明日の風が吹く。この続きはまた次回。 MM
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